「望美、婚儀の前にちょっと付き合ってくれないか?」


ヒノエくんと一緒に熊野に戻ってきてそのままヒノエくんのご両親に結婚の挨拶をした。
予め烏を通じて熊野に伝えていたとはいえ、急な事なのには変わりがなく…。
あわただしく支度を始めている人たちの手伝いが少しでもできないかと私が右往左往していると、
真剣な表情をしたヒノエくんから声をかけられた。




罪深き優しさ。





「……忠度さんの奥さんのところへ行くんだね。」


確信はあった。
平家の武将平忠度の奥さんでありヒノエくんの叔母にあたる人が
今は熊野にいると聞いた時から、いつかこの日がくると思っていたから。
ヒノエくんは叔父である忠度さんと戦い、結果、忠度さんは鎌倉へ送られた。
あのヒノエくんの落ち込んだ姿を、私は決して忘れることはないだろう。
その先に待つものが見えている、避けることが出来なかった運命…。
忠度さんは護送される直前にヒノエくんに一通の文を託した。最愛の奥さんに当てた文を。
ヒノエくんは今からそれを渡しに行くつもりなんだ。


「さすがはオレの姫君だな。……一緒に来てくれるかい」
「もちろんだよ、ヒノエくん。一緒にいこう。」


どちらからともなくつないだ手をそのままに、
二人で忠度さんの奥さんがいる棟へ向かった。



型どおりの挨拶を終えた後、ヒノエくんは躊躇することなく本題に入った。
忠度さんの奥さんは、あらかじめ湛快さんから大筋の話は聞いていたらしい。
ヒノエくんが話す一言一言を噛み締めるように聞いていた。


「そして、これが忠度叔父から預かった文です。伯母上にと。」
「そうですか…。」


文に目を通している時も、目の前の女の人の気丈さは変わっていないように見えた。
でも、小さく震える手から努めてそのようにしているのだというのがわかってしまった。


「湛増、あの人は平家として立派に戦ったのですね」
「はい。」
「そう。最後の戦いで、甥であるそなたと白龍の神子殿に正々堂々と敗れたのなら、あの人も本望でしょう」
「伯母上…オレは!」
「辛くないといえば嘘になりますよ。なれど、それはそなたも同じでしょう。
そなたが熊野を守りたいという想いがあったように、あの人にも平家として、武人としての誇りがあった。
…それだけです。」
「ですが…!」
「私とて、武人の妻ですよ。とうに覚悟していたことです。
……………。
湛増、望美さん、幸せにおなりなさい。あの人もきっとそれを望んでいます。」


辛さをこらえて微笑まれるその姿に、私たちは言葉を失ってしまった。
違う、何も言えなかったんだ。
現実を受け止め、精一杯耐えようとしている人にこれ以上何を言えるだろう。


「さあ、もうお行きなさい。婚儀の支度がありましょう。」
「伯母上…。」
「私なら大丈夫ですよ。後で私も参列させていただきますから」

さあ、ともう一度促されて私たちは立ち上がった。



二人で元来た道を戻る間、ヒノエくんは何も語らず、私も何も言えなかった。
ヒノエくんが次に口を開いたのは私が支度をする部屋へと着いてからだった。
それまであわただしく用意をしてくれていた人が皆下がってしまうと、着いた時の喧騒が嘘の様な静寂が訪れた。


「お前にこんな顔させちまうのは目に見えてたのにな…。
ごめん、望美。やっぱりオレ一人で行くべきだった。」
「そんなことないよ!…どうしてそんなこと言うの?
嬉しい時も辛い時も一緒に乗り越えるのが夫婦でしょ?」


きっと私は泣き出しそうな顔をしていたんだろう。
ヒノエくんの手が慈しむように頬に触れてくれた。
でも、これだけは伝えたかった。

“ヒノエくん一人にすべてを背負わせたりなんかしない。”

私がこの世界に残ると決めた時から誓っていたこと。
すべてを言い終わる前に私は伸びてきた腕に抱きしめられていた。


「そうか、…そうだな。」


耳元で低く響くヒノエくんの声。
触れた肌からヒノエくんの辛さが伝わってくるようだった。


「あの人は…多分今頃泣いてる。オレの前では絶対泣かないんだ。」
「…うん。」
「あの人はああやって耐えて、オレなんかを気遣って…」
「………」
「最愛の人を亡くした時まで気丈に振舞える女なんかいなくていい。
いっそのことオレを罵ってくれればいいんだ。それなのに…!」


忠度さんの奥さんはヒノエくんが自分を責めて、
十分すぎるほど苦しんでいたことを見抜いていたんだ。
だからこそ、ヒノエくんを気遣った。
罪深いまでのその優しさに触れて、ヒノエくんは今また、こんなにも動揺してるんだ。
今の私はヒノエくんに何をしてあげられるだろう。
今の私にできること…。


「…………。
ヒノエくん、泣いてもいいんだよ?
ずっと我慢していたんでしょう。今は私しかいないから…だから…」
「っ………」


地位がある以上は、いかなるときでも耐えなければならない。
それは人の上に立つ者の責務。
でもせめて私の前では我慢しないでほしい。
私にはありのままのヒノエくんを見せてほしい。
今は地位もなにもかも忘れて、叔父と叔母を思う甥として泣いて。
人は泣いた分だけ前に進めることができるから。
先に進む力をヒノエくんは十分に持っているから。
今だけは…。



それからどれほどこうしていただろう。
腕が離れた時にはもう、いつものヒノエくんの表情だった。


「これから婚儀だっていうのに、なんだか、かっこわるいとこ見せちゃったな。」
「ううん。そういうヒノエくんだから私も好きになったんだよ。
この世界に残って、ヒノエくんの側に居ようと思ったんだよ。」


そう言ったらヒノエくんは優しく笑ってくれた。いつもの笑顔で。


「そっか。ありがとな。
それではオレの花嫁、お手をどうぞ。
…オレがお前を必ず幸せにするから」


ヒノエくんは、私の未来も一緒に背負ってくれると言う。
私もヒノエくんとのこれからの未来を大事に描いていくよ。
二人でならきっとどんなことだって乗り越えてられるから。
この先にはきっと何物にも変えがたい、かけがえのない日々が待っているから。


「二人で幸せになろうね」


さあ、ここから、私たち二人の第一歩を踏み出そう。






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今回はヒノエルートで一番の泣き所であろう忠度さんの話の補足として書いてみました。
私個人の見解では上作品のとおり、忠度さんの奥さんは熊野にいると思っています。
平家と源氏が戦を始めた頃から忠度さんが「熊野に戻ていろ」と言ったんだと。
別当であるヒノエくんや湛快さんが断るなんてこと絶対ないと思いますしね。
むしろ「こっちに来てたら?」ぐらいは打診していてもおかしくないよなぁと。
忠度さんは熊野育ちだそうですし、きっとヒノエくんは幼い頃から叔父叔母に可愛がられていたんじゃないかなぁ。
それゆえに、彼にとっては非常に苦しいことだったんだと。
この話は、いつもの余裕綽々のヒノエくんではなく少し弱ったヒノエくんですが、
ヒノエくんもたまには弱音を吐いたっていいと思います。
もちろん望美ちゃんの前限定なんでしょうけどね(笑)